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電子版『関西学院新聞』の公開について | |||
マス・コミュニケーションの手段として新聞の役割が現在よりもはるかに大きかった時代の1922(大正11)年、関西学院の学生会委員はタブロイド版『関西学院学生會時報』を創刊し、その『時報』は関西学院で最初の学生の純粋な言論機関となりました。 1889(明治22)年にアメリカ・南メソヂスト監督教会のミッションによって神戸原田の森に関西学院は創立されました。1918(大正7)年に大学令 が公布され、多くの有名専門学校が大学へと昇格すると、関西学院でも「大学昇格」の要望が高まり、その要望を学生の声として発信する機関が必要でした。ま さにこのような時代に、『学生會時報』が創刊されたのです。その後、この『学生會時報』は、『関西学院時報』、『関西学院新聞』と改称され、第23号 (1926年11月)から新聞紙大のものとなりました。1929(昭和4)年に現在の地へ移転して以後も『関西学院新聞』は、学生の言論機関として大きな 役割を担いました。戦争の激化による一時休刊の後、1946(昭和21)年3月には復刊第1号(通号第202号)を平板全紙大で発行しました(『関西学院 事典』2001年、167頁)。 このような歴史と伝統をもつ『関西学院新聞』は、当時の学生新聞・大学新聞と同様に、在学生、同窓生、教職員の投稿記事はもちろんのこと、多くの著名人 の投稿記事・論文、さらには演説会の講演記録を掲載しました。例えば、昭和10年までをとってみても、吉野作造の講演「日本に於ける対外思想の発達」(第 1巻第5号)、長谷川如是閑「現代ヂャーナリズム論」(第91号)、鶴見祐輔「明朗なる人生」(第108号)、小泉信三「計画経済の理論と実際」(第 113号)、森戸辰男「基督教大学の危機」(第114号)、藤沢桓夫「作家の手帳」(第114号)、坪田譲治「子を諭す」(第114号)、淀川長治「キン グ・ヴィドアの最近作品『結婚の夜』に就いて」(第115号)などが寄稿されています。その他、永井柳太郎、山田耕筰、鵜崎庚午郎、岩橋武夫、久留島武 彦、竹中郁、定方塊石など、社会的活動の著しい多くの同窓生の動向も詳細に報道されています。 このようにしてわが国における新聞史、とりわけ大学新聞史にとって大きな役割を果たした『関西学院新聞』は、その資料的価値の高さからみて極めて重要な 資料であるといえます。それゆえこの電子版の公開は、全国の新聞史・大学史に関わる研究者、教育者だけでなく歴史教育、一般教育・研究にとってもきわめて 有益であると考えています。 今回の電子版『関西学院新聞』は、同新聞の発行人であった関西学院の学生会、出版部、新聞部、新聞総部の同窓生からなる「関西学院新聞タテの会」が制作 されたマイクロフィルムをデジタル化したものであり、本学の「ハイブリッド・ライブラリー:電子図書館データベース」構築のための先行的事業です。この事 業の遂行は、関西学院新聞タテの会および現役の新聞総部からの支援や、平成15年度私立大学教育研究高度化推進特別補助「教育学術コンテンツ-教育学術情 報データベース等の開発」による補助金によって可能となりました。ここに深く感謝申し上げます。 なお、ご覧いただければお分かりのように、『関西学院学生會時報』にはじまる『関西学院新聞』は今なお完全には揃えられておりません。その完全な保存のために皆様のお力添えをいただければ幸いです。 |
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2004年4月 |
関西学院大学図書館長 井上琢智 |
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