デジタルライブラリ
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関西学院大学図書館報「時計台」(2020年4月1日 現在)
関西学院大学図書館報「時計台」のNo.68(1999年4月)以降を公開。「時計台」は1971年9月に第1号を発行して以来、大学図書館と利用者を結ぶ情報の懸橋として重要な役割を担ってきた。大学図書館Webサイトの開設に伴い、「時計台」No.68から編集方針を刷新し、学術図書・資料解説、学術資料講演会の講演内容などを中心に充実させ、よりアカデミックな傾向を強めている。

関西学院新聞
1922(大正11)年に関西学院学生會が創刊した『関西学院学生會時報』から『関西学院大学新聞』までを公開。在学生、同窓生、教職員の投稿記事、多くの著名人の投稿記事・論文などが掲載された『関西学院新聞』データベース作成は、関西学院新聞タテの会および新聞総部からの支援や、平成15年度私立大学教育研究高度化推進特別補助「教育学術コンテンツ-教育学術情報データベース等の開発」による補助金によって行われたものである。

関西学院と聖書
関西学院が所蔵する貴重な聖書および関西学院ゆかりの聖書を公開。1455年ごろ、活版印刷を発明したヨハネス・グーテンベルクらがドイツで160~180部印刷した『42行聖書』の2葉(ホセア書、ヨエル書)、ベッテルハイム訳の『使徒行伝』、『訓點舊約聖書民数紀略』、死海写本断片など貴重な聖書を段階的に公開した。このデータベース作成は、本学総合教育研究室研究プロジェクトによる助成金等によって行われたものである。2018年には、13世紀後半・北フランス制作の彩飾写本『ラテン語ウルガダ聖書写本』を、2021年には、宗教改革期の『ルター訳新約聖書』(1530年、ヴィッテンベルク、ハンス・ルフト印行)をコレクションに加えた。

与謝野晶子による丹羽安喜子短歌草稿への添削
丹羽記念文庫の原蔵者である丹羽安喜子の詠んだ短歌に対する与謝野晶子の添削原稿544枚の画像と翻刻を公開。この翻刻は、関西学院大学の2003年度個人特別研究の支援を得て、大学図書館長を代表者とする研究プロジェクトによって行われたものである。

兵庫県漁具図解
1897(明治30)年神戸で開催された第2回水産博覧会に出展するために、大日本水産会兵庫支会が編集・刊行した『兵庫県漁具図解』を公開。本学図書館には「鹹水漁業 第二播磨国 巻四」を除く図解全てを所蔵している。兵庫県下の地域ごとの魚名、漁期、漁具の構造、漁具の新調費、使用法などの詳細な解説と漁具の構造図、使用図、漁船などを調査・記録しており、当時の兵庫県沿岸各地の漁業の実態を把握できる貴重な資料である。

経済思想家の手稿と自筆書簡
関西学院が所蔵する経済思想家の貴重な手稿や自筆書簡を公開。18世紀~19世紀にかけて活躍したミル父子、ベンサム、スミス、ジェヴォンズなどの経済思想家の自筆書簡等(未公刊のものを含む)をデジタル画像化し、英文活字版の透過表示、連動表示を付け、読みやすくした。この事業は、平成18年度私立大学教育研究高度化推進特別補助に採択された。また、2016年4月に新たにフォックスウェル文書(フリーマン文書)を公開した。

明治・大正の文学者たちの書簡と草稿
八重津輝勝九州医学専門学校(現在の久留米大学医学部)教授の蒐集による資料であり、ご子息である八重津洋平関西学院大学名誉教授・元大学図書館長によって1997年に大学図書館に寄贈された。近代の文学者・著名人の書簡と文学者の草稿から成り、全て自筆の資料である。江見水蔭をはじめとする明治・大正の文学者たちの横顔や時代の光と影、文学の香気を感じ取っていただけると幸いである。

灘の酒造り
近世中期以降に江戸積酒造業として始まった灘酒造業関連資料を公開。当時農村部にあった灘で酒造業が盛んになったのは、幕藩体制の確立とともに領主による市場の成立と米の商品化を基軸とした経済関係が形成されたからである。灘酒造業関連史料は本学の教員を務めた故柚木重三教授と故柚木学名誉教授が親子二代で収集したものであり、柚木学教授はこの史料を使用して、『近世海運史の研究』(法政大学出版局、1979年)を著し、これらの功績によって1982年には日本学士院賞を受賞している。

明治政治史関係書翰
明治初期に、開拓使の最高幹部であった安田定則に宛てられた書翰であり、関西学院名誉中学部長の故真鍋由郎氏のご遺族から寄贈された貴重な史料である。安田定則は当時の開拓使長官であった黒田清隆の信頼が厚く、書翰の差出人には伊藤博文、三条実美、岩倉具視、松方正義ら明治政府の要人が目立つ。また、書翰からは政府における薩摩閥と黒田グループの政治動向が推察され、維新政府の権力構造を示す史料である。

櫟原家文書
大阪で質屋業を営む大店(おおだな)であった櫟原(いちはら)家の古文書の最大の特徴は、江戸時代末の天保12年(1841)から昭和20年(1945)までの日記が連綿と残されている点にある。戦災などにより大阪市街の商家の古文書がそれほど多くは伝えられていない中で、商家の、しかも日記という日常生活に根差した史料がこれほど長期間にわたって残っていることは極めて稀である。櫟原家の日記の紹介を目的として、幕末の鳥羽伏見の戦いによる大坂城の炎上から昭和前期の大阪大空襲まで、近世・近代の大阪で起こった主な出来事に関する記事の写真と翻刻を公開した。