知の存在被拘束性を超えて ――知識から知性へ――
社会学部4年  富田 洋子
<はじめに>
 大学は学術振興のための専門研究機関であり、専門教育機関である1)。ならば大学生は定義上、知性や知識の追究を目指す存在だということになる。だが中学生や高校生、あるいは社会人ではなく特に学生が、その担い手であるというには、何かそれ以上の根拠があるのではないだろうか。仮に学生が学生であるという以上に、知性や知識を追究すべき存在であると考えられているとすれば、それは何故だろうか。考えてみたい。

1 藤兵衛の知とお美津の知
 宮部みゆきの小説に「片葉の芦」という短編時代小説がある2)。江戸時代の市井を描いた作品の一つで、作中、藤兵衛とお美津という父娘が登場する。藤兵衛は一代で近江屋という寿司屋を築き、江戸随一の店にした人物だ。それを可能にしたのは、彼の卓抜な商才と商法である。たとえば彼は、似たような店が増えてくると、他の寿司屋と一線を画するために、店を閉める時刻には、残飯はすべて大川に捨ててしまう。その気風の良さが江戸っ子には、気に入られたのだが、娘のお美津からは反感を買う。彼女は、江戸には飢えに苦しむ人々が大勢いることを知っていたし、父親を守銭奴だの鬼だのと言われ肩身の狭い思いをしていたからだ。彼女は、父親の行為を傲慢だと批判し、彼の目を盗んでは、店の金品や残飯を持ち出し、誰彼となく与えていた。彼女はそれを助けることだと思っていたが、藤兵衛はそれは恵むことであって、助けることではないと考えていた。彼は、娘には黙っていたが、生活に困窮している人々に対して奉公先を手配したり、金を貸したりと、その人々がいずれ独力で生きていけるように、彼らの自律性を伸長するような形で援助を行っていた。藤兵衛の行為にしても、たまたま目に付いた人々だけを対象にしている点では、江戸中の貧困層(生活に困窮し、飢えに苦しむ人々)を救うような根本的な解決策ではない。しかし、二人の行為のどちらがより知的かと言えば、やはり藤兵衛だろう。何故なら、現在だけでなく相手の将来までも長期的に見据えている点で、彼の方が圧倒的に視野が広いからだ。
 藤兵衛とお美津は江戸に貧困層があるという知識を共有し、それを少しでも改善したいと願っている。だとすれば「何故江戸には貧困に苦しむ人々がいるのか」が基本的な問いだ。お美津の場合は、そこで「食料がないからだ」「お金がないからだ」と結論づけ、彼らに食料や金品を与えておしまいである。しかし藤兵衛は、それは彼らが「食料や金品を得るための十分な手段がないからだ」と考える。飢えというのは、単に食料が欠乏している状態ではなく、長期的に欠乏している状態をいう。毎日食料を与え続けるということも理論上は可能であるし、実際、お美津は可能な限りそれを実践しようとしていた。しかし、それでも父親の目が厳しい時は、与えられなかったし、商売が行きづまり、与えるものがなくなる可能性もあるだろう。不可能ではないが、得策ではない。他人をあてにすること、また、あてにさせることは根本的な解決にならないのだ。都市で生きていくには、働き口を見つけて、自分で収入を得なければならない。それを藤兵衛は世話する。藤兵衛の考えは、少なくともお美津よりはずっと深いのである。

2 藤兵衛とお美津の知の被拘束性
 では、藤兵衛は十分に知的だっただろうか。先にも述べたように、彼の行動はミクロレベルでの対症療法に過ぎないという点で万全ではない。マクロレベルで解決するにはどうすればいいかなども考えてみる必要があるだろう。対症療法であることには変わりないが、たとえば、どこかに貧困層の為の施設をつくることも考えられる。貧困の基準を決めて、それを下回る人々を収容して、当座の食料と寝所とを与え、職を斡旋する。それが江戸中に行き渡れば、もし対象がことばも話せないような乳幼児であっても、周囲の人間がそこに連れて行くことで生き延びさせることができる。資金繰りはどうするのか、誰の責任で行なうのか、施設をあてにして、捨て子が増える可能性はどうかなど問題は多い。だが少なくとも提案してみれば、議論を引き起こし、問題を考える契機にはなる。では、どこの誰に提案するか。宮部みゆきの描く江戸の市井は階級制の社会である。残念ながら一商人である藤兵衛には江戸の社会問題に関して発言できるような権限はない。話を戻すと、藤兵衛は、商人としての立場や拘束性を考えれば、その枠内では、十分に知的だったと言える。
 次にお美津に焦点を移してみよう。お美津は、藤兵衛に比べれば考えが浅く、知性が劣るように見える。だが果たしてそれは彼女の責任だろうか。お美津は、一見藤兵衛と同じ位置にいるように見えるが、自分の婿さえ選ぶ権利がないように、ほとんど何の権限も持たない。彼女は全体として苦労知らずのお嬢様として描かれるが、それはそのように育てられたからだ3)。知性を働かせるための教育や知識、さらには手段までもが足りなさすぎる。私は知性は行動を通してしか表現され得ないものだと考える。よく考えることは非常に重要だが、他者との関わりを拒絶するため、自分の頭の中だけで考えていることには、一片の価値もない。その意味でお美津がとにかく自分で考え、行動したことには知性の働きが見られる。しかしながら、彼女自身の力ではどうにもならないような環境や立場による知の被拘束性のため、それは非常に低い水準にとどまっている。このような知の被拘束性をいかに超えていくかが重要だ4)。

3 知の被拘束性と自己の立場を表明することの重要性、その違い
 ある人の知識や知性は、その人の生まれ育った環境や教育、立場などに拘束される5)。では、学問における知の被拘束性はどのようなものだろう。そしてそれはどのように超えていくことができるのだろう。社会学をはじめ社会現象を対象とするような学問においては、自己言及性と呼ばれる、客体である研究対象に、研究する主体も含まれるというジレンマが存在する。問題意識一つをとっても、突然降って湧くのではなく、その人のこれまでの生きざまに多くを負っている。また問題を解くときにも、それを社会学的に説明したいのか、心理学的に説明したいのかで選ぶべき知が変わってくる。もし社会学を選ぶとすれば、そこには、問題を社会的な変数で説明し尽くしたいという「知への意思」が潜んでいる6)。社会学なら社会学、心理学なら心理学で何が説明できて何が説明できないかという限界はある。それらに拠っているという点でそれぞれの知は拘束されている。しかしながら、これは自ら選んだ拘束であり、藤兵衛やお美津に見られるような、生まれや性別など自分の力ではどうにもならないような拘束とは明らかに違うものである。
 上野千鶴子は「学知が『中立的』『客観的』な『真理』それ自体のための探求であるという、ロマン主義的な信念は『芸術至上主義』と同様、学問を『聖域』に囲い込むことで他からの批判や疑問を排除するというまことに権威主義的で防衛的な効果を持っている」7)と学問が中立的で唯一無二の真理の追究だという素朴な信念に対して警鐘を鳴らす。野村一夫は「学問はそもそも『知識』である。『知識』はしかし中立的なものではない。どの『知識』にもかならず一定の『思想』が前提されている」8)と強調する。だが彼らは決してそれが悪いと主張しているのではない。そうではなく、自分がコミットする知に自覚的であり、常にそれに疑問を抱きつつ考える姿勢が必要だと言っているのだ。換言すれば、あらかじめ人々によって解釈されている社会をさらに解釈し直す社会学的知識は、「自分自身の知識の点検を――あるいは保守を――迫る」9)のであり、「つねに<わたし>の境界を崩しては再定義するような不安定でヴァルネラブルな自己意識の産物」10)なのだ。それが、知の被拘束性を超えて、自分の立場から考えるということである。

4 学生という立場
 では、最初の問いに立ち返って学生という立場について考えてみよう。結論から言えば、学生は次の2つの意味において自由であり、知識や知性を得るのに適した環境にある。一つは、言論の自由が保証されているという点、もう一つは、自由になる時間が比較的たくさんあるという点だ。これらの自由に加えて、図書館などの施設が学生という立場をもっとも知性や知識を追究するのに適した立場にしている。
 まず、家庭やクラブ・サークル活動においてはともかく、学生にとって少なくとも大学の講義やゼミの中では、言論の自由が保証されている11)。剽窃をしないなどの最低限の作法を守る限り、何かを述べたり書いたりしたせいで、罰を受けたり、生活が危うくなるということは原則的にはない。特にゼミ形式では、基本的に市民的公共圏のようなものが想定されている。それは「だれもが参加可能で、平等に発言することができ、個人は知識や見識によってのみ評価される。語られたことは真理性・誠実性・正当性においてきびしく吟味され討議される。その結果として、討議に参加した人びとにそれなりの共通了解をつくりだす」12)ような場のことだ。また講義では、言論の自由とは言っても、講義中の質問は、教授が一通り話し終わるまで待った方が賢明であるし、私語はもっての外だが、質問やリポート、試験という形で教授と対話することが可能だ13)。勿論、質問をしたりリポートを書いたりということも一種の発言なのでそれについて説得力のある「何故ならば」をたくさん用意しなければならない。この「何故ならば」の量と説得力が知識であり、それを得ることが勉強なのだろう。時として無知や不勉強を露呈することもあるだろうが、それは個人の責任であるし、何より、発言することで、それらに気がつくことの方が大切だ。
 次に、学生は、自分で学費を捻出しなければならないような苦学生はともかく、一般には自由な時間が比較的たくさんある。比較的というのは、中学生や高校生に比べてという意味と、企業勤めの社会人と比べてという意味だ。中学や高校ではクラブ活動も含めればいずれも大体週5日朝9時頃から17時頃まで拘束されている。昼休みを除いて、カリキュラムが決まっている時間は一週間約35時間だ。これに対して学生は、講義やゼミなどの時間は1週間で約20時間に過ぎない14)。それ以外の時間は、クラブ活動やアルバイトも含め、自分の裁量で好きに使える時間だ。予習復習以外にも自分の興味に合わせて、求めれば好きなだけ知識が得られる。しかも図書館や大学間のネットワークを駆使すれば、学生が読みたいような本はほとんど手に入る。非常に知的に恵まれた環境だ。
 また関西学院大学の学生は9割以上がアルバイト就労の経験を持つという15)。高校でもアルバイトは可能だが、校則で禁止されていることも多い。家庭教師や販売の仕事が多いようだが、アルバイトを経験する以前にはサービスを受ける側でしかなかったのが、一時的にサービスをする側の立場にも立つことになる。これによって視点を変えることや、相手の立場に立って考えることの重要性が身をもって理解できるのではなかろうか。自分の立場やその被拘束性に対して自覚的になることもあるだろう。他にも留学やボランティアの制度など、大学には、学生に色々な経験をさせることで、知に自覚的であることをうながす装置が多く用意されている。おそらくこの学生という立場のもつ自由さ、身軽さに加え、大学のもつ施設や制度など環境的な利点が、学生が知性や知識を追究すべき存在であると考えられている理由だろう。

<さいごに>
 蓮實重彦は、学ぶということは、他人との出会いが生じさせる葛藤や、軋轢や、矛盾を具体的に生きることで未知の自分に巡り合うという体験であり、その過酷さを引き受ける中で、初めて知性が生成されると述べる16)。そして知性を「これまでにつみあげてきた知識の総体が何の役にもたたなくなるような・・・・・・一般性の秩序がいきなり機能不全に陥るときのこうした戸惑いを『驚き』と呼ぶなら、知性はそうした『驚き』によって、初めて確かなかたちをとるもの」17)と位置づける。蓮實の議論は極度に抽象的だが、あえて単純化すれば、知性は、<真剣に>考える働きそのものであり、それは行動を通じて表現されるということだろう。
 学生は、知性や知識を追究するのに適した立場である。しかし、知識はともかく、知性を追求するとはどういうことだろう。知性は磨くものであり、使うものだ。真剣に考えたいと思ったり、無意識的に考えてしまうような問題、すなわち蓮實の言う「驚き」には、よほど感性を研ぎ澄ませていない限り、ベルトコンベアー式の予定調和な現代社会では出会えないのではなかろうか18)。だが知識は知性の働きを助ける。矛盾するようだが、私は、蓮實が言う「これまでにつみあげてきた知識の総体が何の役にもたたなくなるような」時にこそ、これまでの知識の累積や経験が考える手助けになるのだと思う。また、ある程度の知識の積み重ね、すなわち<勉強>がないと、知性を働かせるための問いも生まれてこないだろう。そしてその問いはさらなる知識を要求する。このように知性と知識とは相互作用し、互いに絶えず研磨しあう関係にあるとすれば、知識から出発して、知性を追求することも可能だろう。後は、いかにその立場を利用して知を追究するかにかかっている。

[注]
1) 学校教育法第五二条により「学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする」と定められている。
2) 宮部みゆき、1995、「片葉の芦」、宮部みゆき、『本所深川ふしぎ草紙』、新潮社、7―46。なお、以後本論文で江戸は、宮部みゆきが描く世界の江戸とする。厳密に現実の日本史上の江戸ではない。
3) 宮部みゆきが描く江戸の裕福な商人の娘は、男子と違って、商売を学ぶために他家にやらされるわけでもなく、琴などの稽古事に通わされるくらいである。
4) この「知の被拘束性」という概念は、K. Mannheim (1931) の「知識の存在拘束性」あるいは「存在被制約性」をふまえたものである。
5) たとえば、いくら義務教育で全員が平等な教育を受けているといっても、家庭で子どもに買い与える書籍など教育費にどれだけの金を割くか、どの程度教育を重視しているかによってその子どもの知識量や知的好奇心は随分変わってくる。J. Webster(1912)の『あしながおじさん』の主人公ジュディは非常に聡明で機知に溢れた少女として描かれるが、彼女は、孤児院育ちの自分が他の少女たちとどう違うかを次のように表現する。「マザーグース」や「シンデレラ」「シャーロックホームズ」など一般の家庭に育った恵まれた少女なら、誰でも呼吸をするような自然さで吸収してきたような事柄を全く知らないと訴えるのだ。日本で言えば「桃太郎」を知らないというようなものだろう。ジュディの例はいささか極端だが、生活習慣のように一般に意識され難いが確実に社会階層の再生産に貢献するような文化資本のことをブルデューは「ハビトゥス」と呼んだ。
6) 上野千鶴子、1997、「<わたし>のメタ社会学」井上俊、上野千鶴子、大澤真幸他編『岩波講座現代社会学第1巻 現代社会の社会学』岩波書店、75。
7) 上野千鶴子、同上書、69。
8) 野村一夫、1999、『社会学の作法・初級編(改訂版)』、文化書房博文社、13。
9) 野村一夫、同上書、25。
10) 上野千鶴子、前掲書、78。
11) 「言論の自由」には以下のような含みもある。企業勤めの社会人であれば、経済的なことも含めて利害関係が複雑になり、下手なことを言えば、減給などの形で罰が与えられる可能性さえある。中学生や高校生は確かに言論が不自由なわけではないが、内申書を意識して、教師の気に入るような態度をとることを思うと、大学生の方が自由度は高いと思われる。また大学院生や教授になると、一度自分の立場を明らかにすると、公式の場で、そこから逸脱したような言動はとりにくくなる。勿論、彼らは大学生よりも深い知見のもとに判断したのだろうが、もしかしたら別の知に触れて考えを変えることもあるかも知れない。大学生でも自分がどのような知にコミットしているのかに自覚的で、それを明らかにすることは大切だが、一つの立場から別の立場へ移ることは遥かに容易だ。
12) 野村一夫、前掲書、18。
13) 結論を最後にもってくる教授もいるし、大まかな説明をしてから細かい説明していくような場合もあるので、ある程度まとまった話を聞いてからの方が実のある質問ができる。また教授によっては、適当な段階で「何か質問は?」と聞いてくれる場合もある。ただし、それが常に講義の終りでチャイムが鳴ってからという場合は、大変質問しにくいので、学生は、あたかもその教授が「どうせ質問なんてないだろう」と思って形式的に言っているだけのような印象を受けてしまう。
14) 関西学院大学学生部が1999年に実施した「第10回学生生活実態調査」によれば、9割以上の学生がアルバイト就労の経験を持ち、そのうち約6割の学生は経常的にしている。アルバイトによる月収の中央値が50000円なので、仮に時給800円とすると1週間に約15から16時間労働していることになる。時給1000円だとしても12から13時間の労働が必要だ。これらの時間も含めると大学生といえども、中学生や高校生の拘束時間と同じくらいになってしまう。とはいえ、やはり自分で選んだか、否かは大きな違いだろう。
15) 関西学院大学学生部、2000、『’99関学生はいま…… ――第10回学生生活実態調査報告書――(解説編)』、13。
16) 蓮實重彦、1998、『知性のために』岩波書店、38-39。
17) 蓮實重彦、同上書、46。
18) 蓮實は、学歴社会の弊害の最大の問題は、大学に進学者の多くが22歳という低い年齢で、しかも学士という低い学歴のまま自分の将来の職業を選んでしまうことにあると述べている。22歳が低い年齢か高い年齢か、学士が低い学歴かどうかはともかく、とにかく<みんな一緒>という点には、私も疑問を感じる。しかも彼が指摘するように、日本だけの特殊事情であるにも関わらず、他人より少しでも若い年齢で就職することが「秀才」の証だと思われているのでは、急がされるばかりでゆっくり「驚き」と向き合うこともできないのではないだろうか(蓮實、1998:52-53)。
参考文献
蓮實重彦、1998、『知性のために』岩波書店。
関西学院大学学生部、2000、『’99関学生はいま…… ――第10回学生生活実態調査報告書――(解説編)』。
Mannheim, Karl, 1931, “Wissenssoziologie,” Handworterbuch der Soziologie, herausgegeben von Alfred Vierkandt: Stuttgart.(=1973、秋元律郎・田中清助訳「知識社会学」『現代社会学大系第8巻 知識社会学』青木書店、151-204。)
宮部みゆき、1995、「片葉の芦」、『本所深川ふしぎ草紙』、新潮社、7-46。
野村一夫、1999、『社会学の作法・初級編(改訂版)』、文化書房博文社。
上野千鶴子、1997、「<わたし>のメタ社会学」井上俊、上野千鶴子、大澤真幸他編『岩波講座現代社会学第1巻 現代社会の社会学』岩波書店、42-82。
Webster, Jean, 1912, Daddy Long Leg, New York: Bantam Books.

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