自然の心と人の知 社会学部 4年 八木 丈二 |
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冷帯の地域にはポドゾルと呼ばれる土壌帯がある。ここの植生としては主として針葉樹林(タイガ)が分布するが、広葉樹の密林は形成し得ない。知1)というものも同じように、ある知が生成するのはまさにその知を生み出すような土壌(環境)があるからではないだろうか。そういった知の集大成されたものが文化だと考えれば、文化はそれが興った地域や国とは不可分な関係にあるといえるだろう。 しかし、知というものは植生とは違って簡単に移動が可能である。ある知を持ったある人や集団が動くということもあるし、別の何か、別の誰かに伝播されていくということでも動く。例えば、昔、大陸から渡ってきた人が日本に稲作という知を持ってきて伝えた、という具合である。この場合、大陸という場にあった知が日本という場にもやって来て適用された、ともいえるだろう。このように、ある場からある別の場へと知が移動するということについて考えていきたい。 「郷に入っては郷に従え」ということわざが日本にはある。英語にも、"When in Rome, do as the Romans do."ということばがある。その土地の風俗や慣習に従うことが処世の法である、ということであるが、それぞれの場にはそれに適した知、適さない知というものがあるのだということだろう。単純に言えば、知の善し悪しや有効性のようなものは相対的なものであるとも言えよう。よって、ある場においては適切であり間違いのない知であっても別の場に行けば必ずしも適当でない、あるいはかえって害悪となるようなことがあると言える。 ある場から別のある場へと知が移動したとき、もとの場では大変有効な知であっても、移った先の場では必ずしも有効にはたらくとはいえない。それどころか、移った先にあった在来の知を損ねるという結果になることもある。なぜこのようなことになるのだろうか。いくつかの例を挙げて考えてみよう。 今日、日本でも広く民主主義というものが受け入れられているように思われる。この日本の民主主義は言うまでもなく、西洋の民主主義という考え方を取り入れたものである。当然ながら、西洋には今日の民主主義を政治の基本理念として採用するまでには長い歴史があり、それらを踏まえた上で現在は、民主主義が他の政治形態よりもうまく機能するということで政治の基本となっている。ところが、日本の民主主義というのは西洋でそれがうまく機能しているということで、それをそのまま流用しているに過ぎない。つまり、日本の歴史や文化から芽生えたものではないし、西洋の民主主義を日本の歴史や文化に合うように知恵をだして変えるということもされていない。西洋がそれがよいものである、と言っているのを鵜呑みにして、ただ形をまねしただけである。やはりそのようなものには弊害が付き物で、例えば世論調査で森内閣の不支持が過半数を超えるような状況2)でも、内閣不信任案が否決されるようなおかしなことが半ば当然のように起こる。あるいは選挙のたびに投票率の低さが語られる。何を以って「民主」といっているのだろうか、という疑問が沸々とわいてくる。それはともかくとして、これは西洋の民主主義という知が日本という場においては機能不全に陥っている、ということが言えるであろう。 もうひとつ別の例を挙げよう。東南アジアなどで森林破壊の元凶としてよく焼き畑がやり玉に挙げられる。しかし、伝統的に焼き畑に従事してきた農民は、森林を破壊してしまうと自分たちの生活の基礎を失うことになるわけだから、森林を破壊しないような焼き畑の技法(知)を開発し、森林を破壊するどころかむしろ森林を保全する役割を担ってきた。森林を破壊しているのは、彼ら焼き畑農民の焼き畑ではない。もとの生活の場を失って新しく山林へ流入してきた、焼き畑の技法を持っていない人たちによる焼き畑である。流入民が、焼き畑農民の焼き畑の技法を習得することなしに焼き畑耕作を行うため、森林が破壊されていくのである。この場合も、形だけを真似して、その知の興った背景に対する理解を欠くために、もとの知が機能しなくなった例と言えようか。 2つの例を挙げたが、これら2つのことに共通するのは、ある場から別のある場へと知が移ることによって知が損なわれてしまった、ということである。いったい何が悪かったのであろうか。 宮大工で、法隆寺や薬師寺の棟梁だった西岡常一は次のように言っている3)。 ・・・・・・明治時代以降に入ってきた西洋の建築法をただまねてもダメなんや。 そこへいくと、1,300年前の飛鳥時代の大工は賢いな。大陸から木造の建築法が入ってきた。中国の山西省應県に佛宮寺という600年前の八角五重塔があるんですが、これは直径29mもあるのに軒先が2mしかない。ところが同じ八角でも夢殿は径が11mなのに、軒の先は3mも出てる。ちゅうことはや、大陸は雨が少ないのや思いますよ。ところが、大陸の雨の少ない建築を学んだけれど、飛鳥の工人は日本の風土というものをほんとうに理解して新しい工法に変えたちゅうことです。基壇も高くなってます。こういうのを賢いゆうんですわ。今みたいに、なんでもそのまままねしたりせんのや。軒が浅くてはあかんぞと考えたんですな。徐々にやったんやなくて、そのとき一遍でなおしてるんです。 外来の知を取り入れるのは大いに結構なことである。外から新しい知を取り入れることでもとからあった知を練り、鍛える。あるいは、その新しい知をより一層洗練する。またあるいは、従来の知と外来の知とを組み合わせて今までになかった新しい知を作り出す。そうすることで文化が向上する。しかし、ただ外のいいものを取ってくれば良いというのではなくて、それを従来のもの、土着のものと整合するようにする、というのが肝要なのである。あくまでもそこの風土に合わせることを忘れてはならない。さらに建築で例をとると、「住まいは夏を旨とすべし」といわれるように、日本の住宅は高温多湿の夏を快適に過ごせるような建て方がなされてきた。夏の暑さ対策の知恵が随所にちりばめられている4)。また、夏は台風の季節でもあるので、それに耐えられるようにもしなければならない。一方ヨーロッパでは主に冬の厳しい寒さをしのげるように住宅を建てる。そのため例えば煉瓦造りなどの、隙間風が通らないような保温性の高い造りの家になっている。それぞれの風土に適合するようになっているのである。もちろん、ヨーロッパと日本というだけではなく日本国内だけでも、関西と関東、日本海側と太平洋側、信州の山岳地帯と南西諸島などではずいぶんと風土が異なるので、それぞれの地域に応じた家屋や生活の知恵が見られる。そうして文化というものが出来上がっている。 要するに、外来の知の構造、すなわち中身やその知が拠ってたつ風土に対する理解を欠いたまま、その形だけにとらわれるから結果として知を損ねることになるのである。 知が拠ってたつ風土といったが、例えば大学における知などは必ずしも生活の場の知とは同じではないわけで、知が拠っているものはもっと抽象的なものにもなる。しかし、この場合も、その知がどのようなことに依拠したものなのか、ということは常に把握しておかなくてはならない。そうでなければ、とんでもない誤解を生んだりすることになりかねない。 卑近な例であるが、ひとつ例を挙げてみよう。筆者は社会調査に関する授業をいくつも受けているが、そのほとんどの授業で社会調査、中でも計量的調査ではサンプリングが重要であることを習った。なぜサンプリング(ランダムサンプリング)が重要なのか簡単に言うと、「より客観的な基準で標本を母集団に近づける」5)ためである。ここで、もし社会調査の技術だけを身につけようと思うなら、「より客観的な基準で標本を母集団に近づける」などということは抜きにして、<サンプリングの方法はいくつもあるけれど、ランダムサンプリングが一番いい方法だ>ということだけを覚えてしまえばいい。それだけでも、実際に何かの調査を行なったとき、なぜランダムサンプリングか、ということから学んだ人と結果的には同じことができてしまう、ということになる。 もし仮に、社会調査の専門学校というのができたとすれば、なぜランダムサンプリングが必要なのか、というところは教えないのではないだろうか。社会調査を離れて一般的に言うと、おそらく、現実の専門学校というところでは、そのように、ある目的について直接的に「役に立つ」技術や知識だけしか教えない、習わないのではないだろうか。そして、そこのところが大学という場の知と、専門学校という場の知の決定的な隔たりではないだろうか。専門学校的なやり方はある特定の場面ではより効率的であろう。同じ結果を出せるとすれば、よりコストが小さくなるからである。しかしその代償として、それだけしかできなくなる。つまり、応用が利かなくなる。調査の話で言うと、例えば事例的研究などで、あえてランダムサンプリングをしない場合もある、というようなことにはまるで対処できなくなってしまうのである。 専門学校的なやり方にはある意味で合理性も認められるので、全く批判するつもりはない。専門学校的なやり方がよいか、大学的なやり方がよいかは時と場合によるものであろう。ところが、似たような現象が知の伝達過程でも起こる。先に挙げた民主主義の話も実はその一例なのであるが、荒井一博はその著書6)の中で、新古典派経済学の理論は「文化」というものを無視している、つまり理論の仮定には「文化」は入っていないということを指摘している。そのことを見落としたまま、西洋で誕生した新古典派経済学が日本でも一般に広く受け入れられている、と言っている。要するに、新古典派経済学が日本に入ってきたときに、その理論が仮定していること(理論の守備範囲)という情報が欠落してしまったのである。あるいはその仮定に対して意識的、無意識的に目をそらしているのかもしれない。それによって、先ほどの専門学校の話とは逆に、本来その理論がカバーし得ないところにまで適用されてしまい、社会に弊害が起こっている、というわけである。民主主義の例については、西洋で民主主義という考え方が生まれた歴史的背景を切り離してしまっているのである。しかも、その歴史的背景が切り離された上っ面の形だけのものと、在来の文化とがミスマッチを起こしているのである。 ここまでに述べてきたことは要約すれば3つのことがある。すなわち、知というものは、それが生み出された風土や時代背景、考え方などと密接な関係があるということ、ある知が生まれた場からその知を別の場へと伝達するときには、もとの知と伝達する先の場にある既存の知とが整合的になるようにするべきだということ、そして伝達することでもとの知から何が欠落するのか、その知の何が見えなくなるのかということを考えなければいけない、ということである。 西岡は、ただ外来の知を鵜呑みにして真似をするのではなく、「飛鳥の工人は、自分たちの風土や木の質というものをよく知っていたし、考えていた」7)「技術やなしに技法ですわ。自然の生命の法則のままいかして使うという考え方」8)だといって、知と自然との関係の深さを述べている。要は不自然なことをしていると歪みができて社会にとってもいずれはマイナスになるということであろう。 古来より今日まで、日本は海外から多くの知を取り入れてきた。飛鳥の工人は大陸から建築法を学んだけれども、それをうまく日本の風土に合わせて取り入れた。しかし、明治維新以来、西洋の真似ばかりが増え、飛鳥の工人のような知恵を出すことが忘れられていっているように思う。知を適切に活かし、向上させるには、よいものは取り入れても悪いものは捨てる。あるいは風土になじむように知恵をはたらかせる。そうするためには本質を見抜かなければならない。本質とは自然の心である。知恵をはたらかせることがなければ知はすたれるばかりだ。
注) |
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