在日コリアン三世のアイデンティティ創出に向けての提言
関西学院大学大学院総合政策研究科修士課程2年 高原知愛
はじめに
本稿の目的は、在日コリアン三世の民族アイデンティティ形成にかんする苦悩と原因を明らかにしたうえで、一世とも二世とも異なる、三世のアイデンティティ創出に向けての提言を行うことである。
筆者は現在、関西学院大学大学院総合政策研究科修士過程2年である。修士論文は「在日コリアンの権利意識の変遷と社会構造」という題目で目下執筆中である。
筆者の問題意識は二点である。一つは、在日コリアン二世(以下、二世と略す)の意思決定が多くの三世、四世の生活や意思決定を左右していること。もう一つは、在日コリアン三世(以下、三世と略す)の問題意識が鈍化傾向にあることである。本稿では後者について言及したい。
三世の問題意識の鈍化とアイデンティティのあいまいさには密接な関連があると考えられる。すなわち、自己確立が未熟であるから、自己に関わる問題を一般的な問題以上に掘り下げて考えることができないのである。
世代間による問題意識の温度差は、はっきりと各世代で分かれるわけではない。またなにかのきっかけで急に意識が低下したわけでもない。三世のアイデンティティも急にあいまいになったわけではない。それらは、近代社会の入り組んだ構造と環境の変化のなかで生まれ、徐々に表面化してきた。
在日コリアンはまだこれらの現象を問題として認識していない。三世は、二世の存在の大きさや、在日外国人教育にたいする熱意を振りかざす学校の先生にたいして漠然とした疑問や不満をいだきつつも、なぜそれが不満として自分の内におこるのか、どうしたらその不満が解消されるのか、を考えるまでに至らない。
本稿では、在日コリアンの祖国志向からアイデンティティの喪失までの民族アイデンティティの変遷を整理することによって、三世の置かれた状況を明らかにし、三世のあいまいなアイデンティティ意識の内側に隠された問題を引き出すことで解決への道を提示する。この解決は、三世がこれまで信じてきた民族アイデンティティを打ち壊し、三世独自の新たなアイデンティティを創出することである。
1.祖国志向――「私は朝鮮人である」
1970年から1980年代は、在日コリアンにとっては権利闘争と権利獲得の時代といえる。1970年代というのは、二世が青年期を迎え、一世から二世への世代交代が進みつつあった。二世が一世と明らかに異なる点は、日本で生まれ育ち、日本語を母語とする点である。定住を前提とする在日コリアン史は二世から始まり、アイデンティティとの葛藤はまさにこのときから始まった。
一世は自分のアイデンティティについて悩む必要がなかった。なぜなら、一世には祖国があったからである。自分の帰属が明らかであり、「皇国臣民」として同化を強制されても、日本帝国の完全な支配のもとにあっても、その帰属意識は変わることはなかった。一世と二世の違いが「帰国志向」と「在日志向」という言い分けで表現されることがあるが、「帰国志向」という言葉が示すように、一世は常に「できるものなら帰国したい」と願っていたのである。それは祖国の分断とその後の国家情勢の不安定のため、簡単に実現できる希望ではなかったが。
これにたいし二世は、日本に継続して定住することが前提になってきた。「在日志向」が定着したのである。しかし「自分は朝鮮人である」という民族的自我は揺らがなかった。なぜなら、一世の体験は毎日の生活の会話のなかで語られ、二世は自然と一世の体験を間接的に体験し、自分のルーツをごく身近に感じることができたからである。また、朝鮮人であるがゆえの差別は、自分が日本人ではないことを自覚するには十分過ぎるほど過酷なものであった。二世は日本で生まれたにも関わらず、一方では親の体験を間接的に共有することによって、他方では日本人の「まなざし」によって「朝鮮人」となったのである。
二世は、大きく分けると「祖国志向」か「反祖国志向」に分けることができる。一方は祖国に自分の帰属をおき(精神的に)、自分の抑圧された環境は祖国が解決してくれる、と信じる傾向である。もう一方は、祖国へ期待することをあきらめ、自分で自分の環境を変えていこうと立ち向かう傾向である。しかしどちらの場合も、自分と「祖国」の関係であるということではかわらない。それゆえ筆者は「反祖国志向」も「祖国志向」も同じく「祖国志向」と呼ぶ。もちろん、一世はいうまでもなく祖国志向である。
しかし事実として、二世には「生まれ故郷」としての「祖国」はなかった。一世の祖国は分断され、二世が生まれるときにはすでに二つの国家、二つの相反するイデオロギーが成立していた。それでも二世は自分の民族的自我を裏付けるため、必死に「祖国」に帰属を求めた。その結果、民族の分断は在日同胞社会にも生じ、家族でさえ分断されるという悲劇を生んだ。
ところが、在日朝鮮人が「祖国」を意識するほどに、「祖国」は在日朝鮮人を意識しなかった。そこで、「祖国」に失望した二世の内部に、民族的自我の葛藤が生まれた。「自分は朝鮮人である。しかし自分の居場所は日本にある。それは一体どういうことか」と。
二世の民族的自我の葛藤にたいする一つの解決方法は、「在日朝鮮人」として日本社会にその存在を認めさせることであった。対極にあったのが、帰化・同化志向である。日本人になりきること、それが生活の安定を得られる最短の方法であった。
2.アイデンティティの喪失――「私は何者か」
三世が青年期を迎えるようになり、「在日」のアイデンティティの確立が新たな問題として生まれた。三世は帰国志向はいうまでもなく、自分と祖国との関係を考える祖国志向ももちえないし、逆に日本への同化志向ももちえない。それゆえ三世の民族アイデンティティとの葛藤は、二世のそれよりも更に複雑で困難極まりないものとなっている。社会的な呼び方も、「朝鮮人」から「在日朝鮮人」になり、さらに韓国籍者と朝鮮籍の総称という意味の「在日韓国・朝鮮人」へと移行し、「韓国・朝鮮」という表現をより総合的に、より簡潔にするため、「在日コリアン」と呼ぶようになった。また非公式の場では(ときに公式の場においても)、たいてい「在日」といえば旧植民地時代からの子孫であるコリアンという意味で充分通じるようになっている。そんな呼称の変化が示すように、最近は三世が自分のことを表現するのに最適な言葉がないのである。
また、三世にもなると、1985年の国籍法改正の影響もあり、ダブルなどの日本籍コリアンが激増している。一方では在日コリアンとニューカマーの韓国人のカップルに生まれた子どもも増え、一つの枠組みで在日コリアン三世を表現するのは、もはや不可能となっている。
3.帰属への要求
三世は今、意識の中で必死に自分のアイデンティティを保障してくれる「帰属」を求めている。それは国家的帰属、民族的帰属である。なぜなら、外国にルーツをもつ者にとって、民族アイデンティティの成立が自己確立の最も望ましい形だからである。
帰属を求める衝動は、特定の人間だけではなく、近代人すべてに起こりうるものである。E.フロムによると、人間には「他者と一つに結ばれたいという要求」、つまり何らかの帰属を求める要求があるという。この「『帰属』を求める要求」には二つの要素がある。一つは、人間は他人となんらかの協同なしには生きることができないということであり、もう一つは「主観的な自己意識の事実、あるいは自己を自然や他人とはちがった個体として意識する思考能力である」[1]。前者では、他人との協同がないことで不安が生じ、後者では自分の存在の小ささや無力さを自覚することで不安が生じることを述べている。また前者では子どもを例に挙げ、他人との接触が生死に関わる問題であることを述べ、後者では「個人的な無意味さにおしつぶされてしまう」人間が、やがて「自分の生活に、意味と方向をあたえてくれるどのような組織にも自分を結びつけることができず、疑いでいっぱいにな」り、「この疑いのために(略)生きる力を失う」と述べる。つまり、人間は無力の状態を避けるためにはどこかに帰属しなければならないという考え方が成立する。
フロムのこのモデルを在日コリアンに当てはめた場合、次のことがいえる。一世に関しては、前近代的人間といっていいだろう。一世は「個人」ではなく、自分が属する社会の秩序により自我は統一されていた。問題は二世からである。二世(「在日朝鮮人」として生きることを選んだ二世)は「朝鮮人である」ことを意識していた。朝鮮人らしく、民族の誇りをもって生きようとした。それが彼ら・彼女らの自我の統一方法であった。他方、帰化し、「日本人」として生きることを選んだ者は、「日本人になる」ことにより、日本社会での安定を得た。一方は「日本人ではない」自我に民族性を合わせ、他方は日本国籍に「日本人となる」自我を合わせたのである。
どちらの場合も、自分の信じた自我とそれを裏付ける民族性・日本国籍の要素が合わさって一つの自我として成立する。このどちらかが欠ければたちまち自我の均衡が失われ、不安と恐怖に陥る。二世は、それを避けるために合わせた自我を守り続けた。二世の意図は、三世にも自分と同じ自我統一モデルを当てはめ、わが子の自我をも守り続けようとした。しかし、三世は朝鮮人にも日本人にもなれなかった。親の代から日本に生まれ、日本に住んでいるのに「外国人」である不合理に納得がいかず、ルーツが朝鮮にあるのに「日本人」となることにも納得できなかった。こうして民族的あるいは国家的帰属を見失った三世は、アイデンティティのない不安定な存在になった。
4.不安解消法としての葛藤回避
アイデンティティを確立できない三世に、不安や恐怖は感じられない。それはなぜか。三世は、無意識の内に、自己統一できない不安を解消しているからである。どうしてそんなことができるのか。フロムのモデルによれば、どこかに帰属することなしに個人の不安を解消することは不可能である。
その問いは次のように説明できる。つまり、三世は民族アイデンティティを確立できない苦悩にたいし、問題をあいまい化(一般化)することでその苦悩・葛藤を回避しているのである。
三世が自分を表す言葉として、「コリアン・ジャパニーズ」という表現を使うことがしばしばある。日本語に直訳すれば「朝鮮系日本人」である。しかしこの表現を日本語で使う者は少ない。「日本人」という言葉に抵抗があるからである。それゆえ英語で表現することにより、呼称の問題をとりあえず解決される。しかしそれは問題を一般化することであいまいにし、それ以上立ち入らないという形で妥協したに過ぎない。「朝鮮系日本人」と「コリアン・ジャパニーズ」は単なる言語の違いではない。母語ではない英語、生活文化に浸透していない英語を使うことによって、言葉の意味をぼかし、その解釈をあいまいなニュアンスに委ねているのである。
このような形での葛藤回避は無意識に行われる。福岡安則[2]によると、在日コリアン青年の生き方は7タイプに分類できる。祖国志向型、同胞志向型、共生志向型、個人志向型、帰化志向型、葛藤回避型、葛藤型の7つである。このうち、祖国志向型、同胞志向型、共生志向型は理念中心型志向と解釈でき、のこりの4つは自己中心型志向と解釈できる。前者の方がより「ムード的」で、自己の意識に具体性をもたない。自己アイデンティティ確立過程は未熟といえる。前者の3つのうち、「共生志向型」に注目されたい。福岡のおこなった意識調査では過半数の選択率で最多であったのだが、この共生志向は一見、自分の立場を認識した上で課題克服をめざす積極的、能動的意思にみえる。しかし、「共生」という言葉を使うことによって、実際それが自分自身に深く関わる問題であることを隠してしまうのである。
むすび
このように、三世は明確な民族的・国家的帰属をえられない不安を、合理的に妥協することで解消しているのが現状といえる。
日本社会と自分との関係では、二世と三世の意識の違いは次のように説明できる。つまり、「在日」という意識と「市民」という意識である。たとえば、参政権や国籍条項の問題は、二世にとっては在日外国人に対する反差別運動としてあるものであり、三世以降にとっては一住民として、一市民としての権利要求としてあるものだということである。こうしてみると、二世と三世との間に、運動の発端における問題意識の衝突は避けられない。
1990年代は過ぎ、三世のほとんどが成人していると考えられるにも関わらず、その衝突が運動体の問題としてなかなか表面化されない。その理由としては、二世の声の大きさもあるけれども、最も大きな要因としては三世の問題意識の鈍化傾向が考えられる。三世が民族アイデンティティを求める限り、無意識の妥協による不安回避がつづく。そうして三世のアイデンティティはますますあいまいなものになり、問題を「自分の問題」として捉えることができなくなってきている。それが全体的には在日コリアン青年層の問題意識の鈍化につながっているのである。
この悪循環を抜け出し、三世が主体性を取り戻すためには、三世は民族的・国家的アイデンティティの保障をきっぱりとあきらめなければならない。日本や朝鮮という国家的・民族的枠組から自分を解放しないかぎり、在日コリアンは四世になっても五世になってもこの壁をのりこえることはできないのである。三世の自己統一は、少なくとも民族的・国家的な帰属によっては実現されない。すなわち、この種の帰属によっては、いつまでも個人は成熟しないのである。