ある職人の物語

関西学院大学法学部3回生 上山香織

 

これはね、本当にあったお話なんですよ。

 

スコットランドの小さな小さな町に、一つのお店がありました。近くには小さな川が流れていて、裏には山があって、そんな、ほんとうに小さな町のお話です。

 

あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。

おじいさんは店の奥の工房でガラス細工を作り、おばあさんはそれをお店で売っていました。二人は、毎日のんびりと幸せに暮らしていました。

 

ある日、店の扉がカランと音を立てて、一人の女の子が入ってきました。真っ黒な髪に、真っ黒の目。この辺りではちょっと、見かけないような子です。

「あら、珍しいお客さんね」 店番のおばあさんは、ちらっと思いました。

 

入ってきた女の子は、一目でこのお店を気に入りました。このお店には、心地よい空気が流れていたからです。どのガラス細工にも作った人の心がこもっている様子が見えて、きらきらと輝いていました。

 

 中でも、特に気になったのは、ちょうど手のひらに納まるくらいの、小さなブタの置物です。ブタの体の中に、一ペンス硬貨が入っているのですが、これはどうやって入れたんだろうと、不思議でたまりません。女の子は思い切って、店番をしているおばあさんに

たずねてみることにしました。

「こんにちは。このブタには何か、特別な意味があるの? どうしてコインが入っているの?」

おばあさんは優しく微笑んで言いました。

「豚はね、幸福の象徴なんだよ。ふふ、これをどうやって作るのか、気になるのかい? もしよかったら、この店の奥が工房になっているからね、そこを見てくるといいよ。ここのおじいさんは、お客さんと話すのが大好きだからね。きっと、大歓迎してくれるよ」

 

女の子はおばあさんにお礼を言って、お店を出て工房に向かいました。

真っ赤な扉を押して中に入ると、一人のおじいさんがバーナーでガラスを溶かして、なにやら作品を作っています。

 

「こんにちは、初めまして」女の子が話しかけると、おじいさんはにっこり笑って「こんにちは、はじめまして。どこから来たの?」といいました。

「日本から来ました」と女の子が答えると、おじいさんは、「私は昔、日本に行ったことがあるよ」と言いました。女の子は、驚いてしまいました。こんな小さな町では、日本て国を知っている人さえほとんどいません。それなのにこのおじいさんは、日本にきたことがある、なんていうのです。

「私はね、昔、日本のデパートの中でガラス細工を実演販売したことがあるんだ」

このおじいさんが日本に来たことあるなんて! 女の子はすっかりうれしくなりました。

 

それから二人は、いろんな話をしました。

女の子は、知りたがり屋なので、おじいさんに次々質問をします。

「このバーナーの火は、何度くらいなの?」

「おじいさん、やけどしたことある?」だとか、

「あの機械は何?」

そのたびに、おじいさんは丁寧に答えてくれました。

一時間くらい過ぎたでしょうか。女の子はそろそろ、帰らなくてはいけません。

また来るね、と約束をして、おじいさんとお別れをしました。

 

てくてくと歩いて帰る帰り道、なんだかちょっとうれしくて、女の子は、今日はいい日だったな、と駆け出したい気分でした。

 

 それから数日がたちました。女の子は、あの居心地のいいお店が忘れられません。

また、あのおじいさんとおばあさんとお話したいなあ。今日は、どんな話をしようかなあ。

そう思いながら、あのお店への並木道をてくてくと、歩きました。

 

「こんにちは!」

女の子が工房に入ると、おじいさんは、「やあ、こんにちは。よくきたね」と言いました。

親しくなった人に話しかけるようなあいさつが返ってきたので、女の子はじんわりと幸せに思いました。

 

おじいさんは、何年も前からずうっと、ここでこのお店をやっています。大学で化学を勉強した後、一人でお店を開きました。その後は、ほとんど毎日ガラス細工を作っているのです。

 

女の子は、目の前で次々と美しいガラス細工を作っていく様子を見て、すっかり感動してしまいました。

「おじいさん、ほんとにすごいのね。魔法使いみたい」

おじいさんは、落ち着いた口調で

「君から見ると、すごいと思えるかもしれないが、実際に自分が作っていく中で

自然に身につくものなんだよ。習うより慣れよ、だね」

 

また、女の子が、忙しいかとたずねると、こんなことを言っていました。

「どんなときにも、あせってはいけない。あせって作ると、うまくいかないんだよ」

 

女の子は、思いました。例えば私が料理をするときに気をつけていることと、このおじいさんがガラス細工を作るときに気をつけていることって、実はまったく、同じことなんじゃないかって。

 

女の子は、料理がうまくなりたいな、おいしいものを作りたいな、と思っていても、思っているだけではうまくならないと知っています。失敗してもいいから、毎日毎日作っていくと、自然に上手に作れるようになるのです。

 

もしかしたら、スコットランドで毎日ガラス細工を作っているおじいさんと私は、実はおんなじことを考えているのかもしれないな。

そう気づいたら、女の子はたまらなくうれしく思いました。

こんなに遠い場所で、年齢も違う、生きてきた過程も何もかも違うこのおじいさんと、

「ものをつくるということは」という考えが共通だなんて、とっても素敵な偶然だなあ、

と女の子は思いました。

 

おじいさんは、この工房の中はとっても心地いい、と言います。

「このくらいの大きさがね、ちょうどいいんだよ。一人で仕事をするのにね」

女の子は、普段自分がもっと広い台所だといいのになんて考えていることを、ちょっと恥ずかしく思いました。自分が一人で仕事するのに、そんなに広いスペースは要らないんだ。

こじんまりとまとまっていたほうが、いろんな道具に手が届きやすくていいくらいなのです。

 

「自分に合った道具をね、こまめに手入れしながらずうっと使っているんだよ。いまでは

自分の体と同じくらいに手によくなじんでいるんだよ」

おじいさんに使われている道具たちも、きっと幸せだな。女の子は思いました。おじいさんは道具を次々に操って、ガラスをねじったりひっぱったりして美しい細工を作ります。

 

そのしぐさの一つ一つがていねいで、あたたかくて、見ていると心が休まるのです。女の子は、このおじいさんが作業をしている様子を見ているだけで、ほんわかと幸せな気分になるのでした。

 

自分の道具を大切にする、というのも、女の子が普段心がけていることの一つです。よい道具は、こまめに手入れしなくてはなりません。女の子は、毎週日曜日になると包丁を磨いて、コンロを綺麗に掃除します。いつもありがとう、という感謝の気持ちを込めて手入れすれば、それだけ道具のほうも頑張ってくれるような気さえするからです。

 

何度かこのお店に通ったので、女の子とおじいさんはすっかり仲良くなりました。

女の子は、あるとき折り紙を持ってきて、おじいさんに鶴を作るところを見せてあげました。おじいさんは「へえ、すごい、これはおもしろいな」といいながら、一枚の紙が立体的に形になっていく様子をじっと見ていました。

 

こうしてあっという間に、一ヶ月が過ぎました。明日には女の子は日本に帰らなくてはいけません。

最後のお別れの日がやってきました。

 

いつもの真っ赤な扉を開けると、おじいさんはいつもと変わらない顔で笑います。

「やあ、よくきたね」

女の子も、もうこれで最後だから寂しいけれど、元気にお返事をします。

「こんにちは!」

 

そして、また二人でいろんなおしゃべりをします。

「おじいさんは、子供の頃、どんな遊びが好きだった?」

「そうだねえ。・・・外で遊ぶのが好きだったよ。かくれんぼや、缶けりをして、よく遊んだなあ」

「日本にも、かくれんぼも缶けりも、あるよ。同じ遊びがあるなんて、面白いね」

そうやって、いろんなお話をしているうちに、閉店の時間になりました。

 

女の子は、来週、日本に帰ること、もうここにこられないことをおじいさんに告げました。おじいさんはとても残念がってくれました。最後に、一緒に写真をとって、住所を交換しあって、さようならをいって、お別れしました。

でも、またいつか必ず、このお店に来るよ、と女の子は言いました。

おじいさんは、「約束だよ。またくるんだよ」そういって、女の子の小さな手をぎゅっと握りました。女の子も、おじいさんの温かい大きな手のひらを、しっかりと握り返しました。毎日毎日、ガラスを触っているおじいさんの手はしっかりとして、ところどころにやけどのあとがありました。素敵な手だなと、女の子は思いました。

 

 

 

さて、現在、2001年、冬。

 

今、女の子は、おじいさんにどんなクリスマスカードを送ろうかな、と考えているそうですよ。

 

 

 

 

 

私はこの夏、スターリング大学語学研修へ行きました。スコットランドという国には、なにかゆったりとした空気が流れていて、「シンプルが一番だ」と心からそう信じている人達

が静かに暮らしていました。

 

イングランドのように都会ではないので、自然がそのまま残っているし、野生のリスやウサギがそこらじゅうにいて、のどかな風景がどこまでも広がっているところでした。

 

この物語に出てくる町というのはほんとうに小さな町で、家々と、学校と、少しのお店

がある以外にはなんにもないところです。ほかにあるのは、木々、花々。

木々も花々ものんびりと生きている様子がして、ついついその空気のテンポで行動することになって、スコットランドに滞在中は、普段よりもゆっくり歩いていたような気がします。この滞在から帰ってきて一番変わったことは、物欲がほとんどなくなってしまったことです。あれが欲しい、これが欲しい、という気持ちがほとんどなくなってしまいました。

新しく物を買うことよりも、自分の生活を楽しむことを大切にするようになりました。自分で料理を作ることや、布に刺繍をして何か作ることが、もっと好きになりました。

 

滞在中の体験を、三人称の「女の子」を使って、童話風にまとめてみました。

この話を表現するのに、童話のように書くのが一番しっくりくるように、感じられたからです。

 

 

柳宗悦の『手仕事の日本』という本の中に、このような一節があります。

 

 そもそも手が機械と異なる点は、それがいつも直接に心とつながれていることでありま

す。機械には心がありません。これが、手仕事に不思議な働きを起こさせるゆえんであります。手はただ動くのではなく、いつも奥に心が控えていて、これがものを創らせたり、

働きに喜びを与えたり、また道徳を守らせたりするのであります。そうしてこれこそは品物に美しい性質を与える原因であると思われます。それ故手仕事は一面に心の仕事だと申してもよいでありましょう。手よりさらに神秘な機械があるでしょうか。一国にとってなぜ手による仕事が大切な意味を持ちきたすかの理由をよく省みねばなりません。

 

(『手仕事の日本』岩波書店1985, p.14)。

 

何か自分の手で物を作ってそれを売るという商売は、歴史上、何年も続いてきたことです。

しかし、産業革命以降、人の手でモノを作ることはだんだんと減り、その役割は機械に取って代わられてしまいました。

 機械で生産すれば、早いし、コストがかからないし、均一に同じものを大量に作ることができます。もちろん、機械生産のほうがずっと能率的に作業できます。

 ただ、人の手で作られたものには、なにか人をほっとさせる力のようなものがそなわっているから、疲れた時に手作りのものに触れると、ふっと肩の力が抜けるのかもしれません。

 

この職人はガラス細工という技術に熟練し、それを生活の糧としていました。

この熟練は、ただ単に自分がお金を稼ぐためにだとか、店の売り上げを伸ばすためにだとかいう目的のためのものではなかったのでしょう。

もっと広い視野で彼は熟練を目指していたのだと思います。

奉仕のための熟練という言葉の意味するところと同じ心を、彼は持っていたのではないか。

自分の作品を愛してくれる人の期待に答えたい、自分の作品によって人の心を癒したい、という心。芸術家は作品に自分の名を入れますが、職人は絶対に、自分の名を入れません。

作品に自分の名を残さない代わりに、人々の心に何かを残そうとしているのかもしれません。

 

日本に帰ってしばらくたった今、私はそう考えています。

自分のために作る作品と、人を喜ばせようと思って作る作品には、おのずと差が出てしまう。じっと見つめれば、そこにどのような差があるのかが見えてくるのではないでしょうか。

 

まったく違う国で、まったく違うことをして生きている、私とおじいさん。

この二人の間に、同じ意識があったことを、それを見つけられたことを、幸せに感じます。

 

私がこのお店の前をたまたま通ったことも、このお店に入ったことも、このおばあさんに思い切って話しかけてみたことも、すべては偶然に起こった出来事。

このような偶然があったことを、幸せに感じます。

 

 

自分の手で何かモノを作ることには、シンプルな喜びがあります。

どんなものを作ろうか、考えている時間のわくわくした感じ。だんだんと出来上がっていく様子。出来上がったときの喜び。