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制作にあたって

「与謝野晶子による丹羽安喜子短歌草稿への添削」の公開について

I.資料所蔵の経緯

2002年度の秋に与謝野晶子没後60年を記念して、関西学院大学図書館が所蔵する特別文庫「丹羽記念文庫」を中心とする第11回大学図書館特別展示・学術資料講演会「晶子と安喜子~与謝野晶子と同時代の歌人たち~」を開催した。その契機となったのが、新たに発見された「丹羽安喜子宛与謝野晶子書簡」の購入であった。丹羽安喜子(1892-1960)は、1919年以来、晶子の愛弟子で、近代短歌の東京新詩社の社友であり、『蘆屋より』(1936)を出版し、自ら「芦屋短歌会」(1940)を主宰すると同時に、明治・大正・昭和初期に出版された近代短歌集のほとんどを初版の形で蒐集した。その中でも晶子の短歌集の初版を含む多くのコレクションはとりわけ貴重なものである。このコレクションは、安喜子の夫で関西学院の財務部長・理事を務め、自らも歌人であった丹羽俊彦氏から関西学院に寄贈されたものである。

書簡画像

 この特別文庫が与謝野晶子研究にとってもきわめて有益であるとの認識が広がり、ビデオ『人と業績-映像で訪ねる-与謝野晶子』(渡部芳紀監修・一ツ橋出版刊行、 2002年)でも利用されるなど、この文庫を用いて様々な研究・啓蒙が行われてきた。この貴重な特別文庫の価値をさらに高める資料の寄贈が、大学図書館特別展示開催中に生田神社宮司で神戸女子大学名誉教授の加藤隆久氏よりなされた。この新資料は、それが丹羽安喜子の詠んだ短歌に対する与謝野晶子の添削原稿544枚および丹羽安喜子の歌集『蘆屋より』に関する資料(同書の表扉・裏扉および箱の画家石井柏亭による装幀画の原画や与謝野晶子の署名の記載がある『蘆屋より』の出版記念会芳名録など)であった。

II.翻刻について

 この資料の翻刻に直接従事していただいたのは、元大谷女子大学教授で与謝野晶子研究家の入江春行氏と本学文学研究科に所属する足立直子研究員、石田賢司、高瀬麻規人、西浦和稔、大政正博、寺敬子、柳井英子各大学院生とであった。2000年5月すでに入江氏は加藤氏の手元にあった時期にこれら資料に接しており、その資料の重要性について以下のように指摘されていた。「<この資料のように>これほど長期<1920年から40年にかけて>の<晶子とその弟子との間での>やり取りが保存されていた例は聞いたこと」がなく、「<与謝野>晶子の創作の実態に迫る貴重な資料」だと指摘されていた(『読売新聞』2000年5月31日夕刊)。このような評価を踏まえて、この資料の全面的な翻刻とその公開とは、たんに丹羽安喜子研究にととまらず、与謝野晶子研究にも大いに貢献すると考え、関西学院大学の2003年度個人特別研究の支援を得て、井上琢智大学図書館長を代表者する研究プロジェクトによって行われたものである。

III.資料の評価について

 今回の翻刻とそれにともなう予備調査の結果、入江氏は以下のようにこの資料の内容を明らかにされた。

  1. 今回の調査で、晶子が(一部には夫、寛も手を入れている)添削した丹羽安喜子の 544枚の用紙に書かれた短歌は数千首あり、そのほとんどに朱が入れられている。
  2. 添削の種類には大きくわけて以下のものがある。
    ア)秀作
    秀作と判断した歌には、その程度に応じて、朱で一重丸から四重丸まで付けられており、「佳作」と朱書きしたり、時には「常に進みてよいお作の多いことを嬉しくおもひます」などと書き、弟子をほめることを忘れていなかった。
    イ)一般的な注意書き
    以下に具体的に指摘するように、安易な多作を戒め、既成概念にとらわれない新しい着想を模索する姿勢をとるよう、安喜子に注文をつけている。
    • a)「同じ着想を繰り返し給ふことになり候ては、多作もよろしからず候。十首を一首にするだけの御選択が必要に候」。
    • b)平凡なる着想を捨て去ることも一つの大切な心掛けに候」。
    ウ)添削の内容に応じた朱書きについて
    • a)社会的背景をもった歌について

      【例】「何事も思はじ病みてすなほにも み国を思う病院の夜」:
      この歌が詠まれた時期が満州事変のころであったことを反映して「お国のために」という発想を嫌ってか、コメントも入れず、朱で縦線が入れられ削除されている。ここには反戦歌を詠った晶子の思想の反映を読み取ることができる。

    • b)女性としての体験・経験に裏打ちされた歌について

      【例】出産の経験をつづった歌:「着想よろし」

    • c)表現上のコメント

      【例】「十重廿重身のいましめを今とき放ち」→ 「重かりし身のいましめをとき放ち」(やわらかい表現への変更) 【例】「浜寺にして」→「濱寺の磯」 (「浜の字は船を納れおく所。この略字は無学なる人の誤り」)  【例】「認む」:「俗なる言葉遣い」として戒めている。

 今後、この資料の翻刻の公開によって進められる「二人の晶子・安喜子」研究にとって有益であることを関西学院大学図書館は願っています。最後になりましたが、この研究を担っていただいた入江氏をはじめ、本学文学研究科に所属する大学院生等の皆さん、およびこの研究を背後から支えていただいた関西学院大学文学部森田雅也教授に感謝申し上げます。

  • 注)翻刻本文中の赤字が与謝野晶子による添削です。
  • 注)翻刻本文のすべての著作権は、関西学院大学に帰属します。
参考資料:
  1. 「丹羽安喜子宛与謝野晶子書簡」1934(昭和9)年1月17日付
    (東京都杉並区荻窪の与謝野晶子から芦屋の丹羽安喜子に送られた書簡)
  2. 第11回大学図書館特別展示・学術資料講演会「晶子と安喜子〜与謝野晶子と同時代の歌人たち〜」
    (関西学院大学図書館報『時計台』No.72(2003.4.1発行)10〜27p.)
  3. 「与謝野晶子による丹羽安喜子短歌草稿への添削について」入江春行 元大谷女子大学文学部教授
    (関西学院大学図書館報『時計台』No.75(2005.4.1発行)28〜29p.)

2009年4月 関西学院大学図書館