安田定則宛寺嶋宗則書翰

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寺嶋宗則 てらしまむねのり

天保3(1834)年~明治26(1893)年

明治前期の外交官。蘭医方を学び、文久2(1862)年、福沢諭吉らと遣欧使節に随行して渡英し、2年間ロンドンに滞在した。この間、欧米事情について学んだ。攘夷の風潮から藩に戻れず、松木弘庵と名乗って幕府に仕え、開成所教授などを勤めた。明治元(1868)年、新政府参与外国事務掛を命ぜられ、以後外交官として活躍することになる。同2(1869)年、外務大輔に任ぜられ、岩倉具視大使欧米派遣の際、大久保利通らが帰国後、再渡米したのに同行、米国経由で渡英、駐英大弁務使になる。同6(1873)年~同12(1879)年、外務卿をつとめた。

のち、文部卿、法制局長、元老院議長などを歴任し、同15(1882)年に駐米公使として赴任。同17(1884)年、宮内省出仕を命ぜられ、伯爵となる。同18(1885)年、宮中顧問官、同19(1886)年、枢密顧問官に任ぜられた。