安田定則宛松方正義書翰

画像
  • 拡大・透過表示
  • 連動表示

松方正義 まつかたまさよし

天保6(1835)年~大正13(1924)年

明治・大正時代の政治家。薩摩藩士松方正恭の子として生まれる。幼名を金次郎、正作、三之丞、一郎、助左衛門と改名する。嘉永5(1852)年から7年間大番頭座書役に就き、万延元(1860)年、島津忠義に随行して江戸出府を命ぜられる。文久2(1862)年には島津久光に随行して京、江戸へ出向く。慶應2(1866)年には藩の軍艦掛につき、軍艦や小銃の購入など藩の軍備強化に奔走し、薩長同盟の促進にも尽力した。明治新政府の成立後は、九州鎮撫使参謀、長崎裁判所参謀、日田県知事などを歴任し、明治4(1871)年に大蔵権大丞や租税権頭などに就任。その後、勧業頭や内務省勧農局長など勧業関係の役職を経て、同13(1880)年には内務卿、翌年には参議兼大蔵卿に就任した。大隈重信に代わって大蔵卿に就任した松方は、紙幣整理と軍拡を強行した。松方デフレともよばれたこの政策は、インフレを終息させることに成功したが、物価の急落を招き、多数の農民が土地を失い、地主制の成立を促進した。松方閥なるグループが形成され、政府・宮中などに強い影響力を有した。同31(1898)年には元勲に待遇され、同36(1903)年には枢密院顧問官、大正6(1917)年には内大臣に就任し、閣外から明治の元勲として政治に影響力をもち続けた。