(丸岡)式部助宛(橋本)実梁書翰

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橋本実梁 はしもとさねやな

天保5(1834)年~明治18(1885)年

幕末・維新期の公家。左中将小倉輔季の子として京都に生まれ、公家、羽林家橋本実麗の養嗣となる。安政5(1858)年、日米通商条約勅許問題について対外強硬論を上申し、勅諚の修正を要求して八十八卿が列参した挙に参加した。文久元(1861)年、侍従に任じ、同年10月、和宮(親子内親王)東下に随従した。同2(1862)年、国事御用掛となり、同3(1863)年、左少将に昇任。また、同年8月18日の政変で差控を命ぜられた。慶應3(1867)年、勅免出仕し、同年12月王政復古に際し、参与となり、翌明治元(1868)年、戊辰戦争勃発するや、2月東海道先鋒総督兼鎮撫使として東下、江戸開城の際、勅使として徳川家処分の朝旨を伝える。同2(1869)年賞典禄二百石を永世下賜される。同3(1870)年、従三位となる。度会府知事、式部助などを歴任、同17(1884)年、伯爵となり、同18(1885)年元老院議官に進む。