海江田信義 かいえだのぶよし
天保3(1832)年~明治39(1906)年
薩摩藩出身の政府官僚。薩摩藩士有村兼善の次男。後に、同藩の日下部伊佐治の嗣子となり、その旧姓である海江田に改姓。嘉永5(1852)年、江戸に出仕して水戸藩の藤田東湖らと交わり、その後、薩摩藩の下級武士であった大久保利通、西郷隆盛、伊地知正治、吉井友実らと結束して誠忠組を組織した。誠忠組は藩主島津斉彬、ついで久光にひきたてられたが、海江田はその中で尊王攘夷派として活躍した。その後、戊辰戦争のとき、東海道先鋒総督参謀として江戸開城に功績があり、軍務官判事から、刑部大丞、弾正大忠を経て、明治3(1870)年、奈良県知事となる。同14(1881)年には元老院議官に就任した。さらに同20(1887)年には子爵となり、同23(1890)年に貴族院議員、その翌年、枢密顧問官となる。