本書翰は11月29日としかないが、文中の「山本克」は、島津久光派に属する反政府活動家の主要人物と見做されていた人物であり、明治9(1876)年1月に捕縛され、翌10年5月、大審院で懲役6年の判決を受けているので、明治8年のものと推定される。川路利良は、当時警視庁大警視として東京の治安維持の総責任者となっていた。その川路が、開拓使東京事務局の責任者たる安田に、山本等が遊んだ芳(吉)原の娼妓にその時の様子を聞き出すことを要請していることは、薩摩の久光派の動向を彼等が共同で監視していたことを物語るものであり、興味深いものである。
川路利良 かわじとしよし
天保5(1834)年~明治12(1879)年
薩摩藩士族、官吏、警察制度の創始者。直真影流の奥義を究めた剣術の達人で、元治元(1864)年の禁門の変では長州藩の剣客・篠原秀太郎を討って西郷隆盛に認められた。戊辰戦争での戦績により、明治2(1869)年には薩摩藩の兵具奉行に任命された。同4(1871)年、上京して東京府大属となり、同5(1872)年、東京府の警察権が司法省警保寮に移管されると警保助兼大警視に就任した。同じ年、司法卿江藤新平の指名によって渡欧、翌年に帰国すると警察制度改革の建議を提出する。この建議は内務省の設立にあたっていた大久保利通によって全面的に採用され、同7(1874)年、警視庁の設置に際して大警視に就き、警察制度の整備につとめた。同10(1877)年の西南戦争では陸軍中将に任ぜられ、警視隊を率いた功績で勲二等に叙されて旭日重光章を賜った。