明治・大正の文学者たちの書簡と草稿

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泉斜汀『黒田湖山宛書簡』

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泉斜汀 いずみ しゃてい
明治13(1880)年1月31日~昭和8(1933)年3月30日。

小説家。金沢に生まれる。本名豊春。兄である泉鏡花の指導により尾崎紅葉の門下となる。『監督喇叭』(「新声」明治33年9月)が処女作。鏡花の感化をうけ、下町小説、狭斜小説を持ち味とし、代表作に『木遣くづし』(「新小説」明治35年2月)、『松葉家の娘』(大正3年6月 鳳鳴社)、『離縁状』(「新小説」明治36年11月)、『深川染』前編、後編(明治40年4月5日 春陽堂)がある。後にロシア文学に傾倒し『廃屋』(明治42年)などを発表したが、創造力が乏しく大成しなかった。

黒田湖山 くろだ こざん
明治11(1878)年5月25日~大正15(1926)年2月18日。

小説家。滋賀県甲賀郡水口に生まれる。本名直道。東京専門学校に学ぶ。巌谷小波の門下生で木曜会に属した。社会的広がりのある時文に特色を発揮し、「活文壇」や「饒舌」(主筆)誌上で活気のある発言をした。『狼少年』や『乞食王子』などの翻訳で文壇に登場した。小説には『大学攻撃』(明治35年6月 美育社)や『滑稽ですね』(大正9年6月 上弦書洞)などがある。若いころ中央新聞記者をしていたが、大正期には毎夕新聞、中外商業新報などに関わり、最後まで新聞人として終わった。

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