高村光太郎 たかむら こうたろう
明治16(1883)年3月13日~昭和31(1956)年4月2日。
彫刻家、評論家、詩人。本名は光太郎(みつたろう)。東京市下谷に生まれる。東京美術学校卒。明治39年から42年にかけて欧米に留学。帰国後、彫刻・絵画の制作に従う一方で「パンの会」に加わり、明治44年1月「スバル」に「第二敗闕録」五篇を発表、堰を切ったように詩作を始める。「道程」(大正3年)、「智恵子抄」(昭和16年)の他、日中戦争以後、情況に荷担する戦争賛美詩を書いて戦後、戦争責任を追求された。花巻市の郊外に独居して自己批判の詩「暗愚小伝」(昭和22年)を記し、「典型」に収録する。生前未刊の「猛獣篇」の他、短歌・エッセイ・翻訳など多数ある。
草稿「小娘」は、大正6(1917)年に制作された詩「小娘」の草稿であり、改訂本『道程』収録の本文との間に、細部的な異同がある。
草稿「家」は大正10(1921)年5月に発表された「家」の草稿である。のちに随筆集『美について』に収録されている。ただし、草稿では後半部分に「五年前に書いた私の詩一編」が書かれているが、定稿では削除されている。この「詩一編」は、大正5(1916)年10月に雑誌『感情』に発表された「我家」に当たり,後に一部分が削除され、「わが家」として改訂本『道程』に収録されている。