明治・大正の文学者たちの書簡と草稿

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遅塚麗水『角田勤一郎宛書簡』

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遅塚麗水 ちづか れいすい
慶応2(1866)年12月27日~昭和17(1942)年8月23日。

小説家、紀行文家。静岡県に生まれる。本名は金太郎、別号松白など。維新後大蔵省官吏となった父久之の長男。明治7年上京、住所の異動にともない小学校を転々とし、のち幼馴染の幸田露伴のすすめで、菊地松軒の迎曦塾に学ぶ。父死去後は、独学によって小学校教員試験に及第、教員生活を経て逓信省雇員となり明治22年7月退職。翌明治23年、露伴との合作『冷于氷』(明治23年2月26~3月29日)を「読売新聞」に発表、この年、郵便報知新聞社に入社し、同紙をはじめ「新著百種」「国民之友」などに小説の筆を執ったが、明治26年1月「国民之友」に発表した『不二の高根』は、好評をもって迎えられ、山岳文学の先駆として高く評価された。日清戦争従軍の記録『陣中日記』(明治27年12月 春陽堂)も代表作の一つである。明治27年12月、都新聞社に転じ、小説執筆を続けたが、その本領は紀行文にあり『日本名勝記』はじめ、『ふところ硯』(明治39年6月 左久良書房)、『露布衣』(明治41年1月6日 文禄堂)、『山水往来』(明治43年7月 良明堂)などの紀行文集を刊行した。その後、国外にも足を伸ばして才筆をふるい『山東遍路』(大正4年5月 春陽堂)、『新入蜀記』(大正15年12月 大阪屋号書店)『南洋に遊びて』(昭三・三 大阪屋号書店)『満鮮趣味の旅』(昭五・三 大阪屋号書店)などがある。昭和13年、都新聞編集顧問を辞し、大宮の自宅で、漢詩、和歌などをつくって悠々自適の生活を楽しんだ。

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