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上灘東組酒造仲間申合規定書連印帳 1865(慶応元)年

上灘東組酒造仲間申合規定書連印帳
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兵庫県阪神地域には地域ごとに酒造仲間が結成された。西から下灘組、上灘西組(西郷)、上灘中組(御影郷)、上灘東組(魚崎郷)、西宮郷、今津郷があったが、江戸時代には西宮郷を除く五組を「灘五郷」と呼んだ。各酒造仲間は様々な仲間申合を規定し、自主的な自治連合組織を形成していた。

この史料は、上灘東組に属する魚崎村と横屋村の酒造家が仲間内で種々の事項について取り決めた規定書である。「酒造蔵に入り込んで酒を乞う者に酒を与える事」や、「酒白米を蔵から内緒で持ち出して売り捌く者を雇う事」などを禁止している。

また、18世紀後期には灘五郷を含むより広域の江戸積摂泉十二郷酒造仲間が結成された。江戸中期頃になると新規に台頭してきた灘酒造業と、それ以前より酒造業の盛んであった大坂三郷などの都市酒造業との間で販売競争が激化するようになり、その結果酒価が暴落し、酒造業者は経営不振に陥ったため、酒の生産及び市場調整などを目的として、結成されたのである。

(井戸田 史子)