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澤之鶴引札 (17世紀後期~18世紀前期頃)

澤之鶴引札
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江戸時代に商品の宣伝のために配った「ちらし」を「引札」「配札」と言った。18世紀には商品の広告文を文人に依頼することもあったという。引札の稿料は、仮名垣魯文の場合、安政年間(1854~1860年)で1枚につき金2朱(約7,000円)、明治初期には2円(約16,000円)であったという。戯作者などの貴重な収入源になっていたといえる。

この史料は、現在も神戸市灘区新在家にある灘酒造家「澤の鶴」が発行した引札である。左下部にある「澤之鶴」の酒の売捌所の所在をみると、「大阪平野町貳丁目」とある。江戸時代には大阪の「阪」の字は「坂」と記され、明治時代に入ってから、次第に現在の「阪」が使用されるようになったことから、この引札は明治期のものであると考えられる。しかしながら売捌所の続きをみると「越前敦賀大金町」とあり、「越前」という江戸時代の国名が記載されていることなどから、明治期の中でも初期のものであると推定される。この引札には、七福神に扮した蔵人(くらびと)が酒を醸造している姿が生き生きと描かれている。

(井戸田 史子)