日清戦争(凱旋祝賀軍隊歓迎会)

5代目新助(定吉)の日記のうち明治28年(1895)6月5日から7日までの記事(抜粋)。

朝鮮の支配をめぐって日本と清国との間で戦われた日清戦争は、明治27年(1894)7月25日の豊島沖海戦で始まった。これに勝った日本軍は、9月15日の平壌の戦いや17日の黄海海戦などでも勝利し、翌年3月には遼東半島を占領、さらに台湾へと進出していった。4月17日の日清講和条約の調印、5月8日の批准書の交換により戦争は終結。勝利に沸き立つ日本では各地で祝賀行事が催されることになった。

大阪でも、5月21日に総理大臣伊藤博文などの出席をえて有志平和祝賀会が開催された。しかし、ごく限られた有力者による会であったためであろうか、日記には何も記されていない。一方、6月7日の凱旋祝賀軍隊歓迎会については、日記からその盛況ぶりがうかがえる。それによれば、会場の中之島公園には噴水や凱旋門、アーチが設けられ、球灯(球形の提灯)が吊り下げられたようである。また、歓迎会には会費を負担した発起人と会員などだけが参加を認められたが(両者あわせて3万人ほどであったらしい)、櫟原家も1円を寄付して発起人となり、長男恒太郎などが中之島公園へ行ったこともわかる。日記の絵は発起人や会員の証明として配布された記章と旗であろう。

歓迎会当日は、中之島公園以外でも大いに盛り上がったようで、日記には近安(近江屋安之助のこと。5代目新助の妹の嫁ぎ先)の南久宝寺町では子供屋台が、内久宝寺町では地車が曳き出されたことなどが記されている。こうした地車が大阪城の馬場にまで入り込み、万歳の声で軍隊の練兵ができなくなったとあることも面白い。

参考文献

「大阪有志平和祝賀会」『大阪毎日新聞』(朝刊)1895年5月23日、1ページ、『毎索』毎日新聞社〈https://dbs.g-search.or.jp/WMAI/IPCU/WMAI_ipcu_menu.html〉(参照:2014-01-21)

「凱旋祝賀軍隊歓迎会」『大阪朝日新聞』(朝刊)1895年6月7日、1ページ、『聞蔵Ⅱビジュアル』朝日新聞社〈http://database.asahi.com/library2/〉(参照:2014-01-21)

「昨日の盛況」『大阪朝日新聞』(朝刊)1895年6月8日、1ページ、『聞蔵Ⅱビジュアル』朝日新聞社〈http://database.asahi.com/library2/〉(参照:2014-01-21)

『国史大辞典』第11巻、吉川弘文館、1990年

『新修大阪市史』第5巻、大阪市、1991年