新世界と通天閣

5代目新助(定吉)の日記のうち明治45年(1912)7月5日の記事(抜粋)。

明治36年(1903)に開催された内国勧業博覧会の跡地に天王寺公園を建設した大阪市は、残りの土地を大阪土地建物株式会社へ貸与し、そこに明治45年7月3日、新世界が開業した。新世界の南半は遊園地ルナパークを核とした興行街、北半は売店・飲食店街であった。ルナパークの中心にあったのが展望塔の通天閣である。

日記では、通天閣について「天王寺の塔より高く」というように四天王寺の塔と比べてその高さを表現し、新世界の賑わいをもって「最早内国ニてハ大坂ハ第一都市と相成たり」と誇らしげに語っている。当時の大阪人の感覚が垣間見られるようで面白い。

しかし、ルナパークの人気もすぐに衰え、その後は芸妓がたくさん集まる大衆向けの娯楽の場へと変わっていくことになった。

参考文献

『新修大阪市史』第6巻、大阪市、1994年