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ランバス, W.R.(1854.11.10-1921.9.26)
関西学院初代院長。南美以神戸教会(現、神戸栄光教会)初代牧師。南メソヂスト監督教会(MECS)ジャパン・ミッションの創立者J.W.ランバスの息子。父の中国伝道開始の年、上海において誕生。ヴァンダビルト大学で神学と医学を修める。1876年、執事に任じられ、ウッドバイン教会の初代スチューデント・パスターを務めた後、翌77年、長老の按手礼を受ける。同年8月2日、中国・南メソヂスト宣教師の娘であったディジー・ケリー(Daisy Kelley, 1858.2.24-1923.5.24)と結婚、11月に上海へ渡り、医療伝道を開始。81年一時帰米し、ニューヨーク・ベルビュー大学病院にて東洋医学を研究、同病院より学位取得、翌年上海に帰任。86年11月24日、MECSジャパン・ミッションの総理として神戸へ着任し、南美以神戸教会初代牧師に就任。88年、関西学院創立に着手、アメリカ・南メソヂスト監督教会の命を受けたW.R.ランバスは、89年、無一文の中、神戸の地で関西学院創立をめざした。巨額の費用を要する事業だったが、ランバスの祈りが香港上海銀行神戸支店から無担保の融資、またアメリカの銀行家トーマス・ブランチらの献金を呼んで実現する。「祈りを建設的な力とするためには、明確な目標をもった祈りである限り大胆でなければならない」。同年9月28日の関西学院創立に伴い初代院長に就任。
1890年12月16日、妻の病のため離日、本国伝道局において活躍し、1910年、海外ミッション担当の監督に選任される。21年、さらなる世界伝道のためシベリアから中国、朝鮮を回り、8月末に日本を再訪するが発病し、9月26日、横浜にて病没する。最後の言葉は"I shall be constantly watching." だった。著書に"Winning the World for Christ, 1915, Side Lights of the Orient for Young Readers, 1908." がある。(「関西学院事典」より)