[Letter] 1772 Nov. 17, St. Andrews [to] Adam Smith, Kirkaldy
ディビッド・ヒュ-ムのアダム・スミス宛自筆書簡(1772年11月17日)
The correspondence of Adam Smith第2版(1987)に 収録されている往復書簡323通のうち、スミスとヒュー ム(1711-76)の往復書簡は55通含まれ、そのうちの40通 がヒュームからスミスに宛てられたものである。 第2版では新たに20通の書簡が追加されているが、その うちの1通(『書簡集』付録E-b )がヒュームからスミス に宛てられた本書簡で、1769年以降エディンバラに定住 していたヒュームが、故郷のカーコーディの母親のもと で『国富論』の執筆に専念している親友スミスを、どう にかしてエディンバラに呼び寄せようとして、強引に空 き家を斡旋しようとしたものである。スミスがエディン バラに定住したのは、ヒュームの死後(および『国富論』 出版後)2年の1778年以降のことである。追伸中の「スペ インへの貨幣の輸入」についての「説明」 (同封された この「走り書き」は現存していない)は、『国富論』第1 編第11章中の「銀の価値の変動に関する余論」等に係わ るものと推察される。ツインツェンドルフ伯爵は、オー ストリアの文官にして金融の専門家で、The correspondence of Adam Smithの編者のロスによれば、ヒュームはこの人 物にウィーンかロンドンで会ったものと思われるという ことである。 注 篠原久「ディビッド・ヒュ-ムのアダム・スミス宛 自筆書簡」(特別展示資料)解説 『関西学院大学図書館 報時計台』No.71、2002年