[Letter to] an Unidentified Correspondent [Parker Co. concerned][no date]
J. S. ミルの[パーカー社関係者宛]自筆書簡
1851年秋ミル一家はブラックヒース・パークに一軒家を借りた。それ以降、例外はあるものの、書簡の多くは東インド会社が発信地となっている。パーカー(John William Parker, 1792-1870) は、出版業のマネージャーを経て、1829年ケンブリッジ大学出版の管理者となり、1832年に出版社を起こし、キリスト教知識協会(Christian Knowledge Society)の出版社に指名された。1830年、マギン(William Maginn, 1793-1842)によって創刊された Fraser's Magazine の出版を引き受け、ミルをはじめ、バックス、ヒューウエル、ホエトリーなどが投稿者となった。
この書簡でミルは「先だって私があなたに『経済学原理』について、私たちの契約は『論理学』と同じでいいという提案を急いで書いたので、その契約自体について触れなかった。(中略)『経済学原理』が受け入れられるかどうか備えて、将来にかかわる問題は将来に委ねたい」と書いた。この交渉と同時に、『論理学』の契約についてミルとパーカーとの間に交渉がなされた可能性があるのが、この書簡であろう。日付の確定は困難なものの、パーカー社の関係者宛書簡であると推定できる。 Collected Works of John Stuart Mill に未収録の書簡である。